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1.社会福祉法人イエス団

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イエス団は、イエスキリストの生き方に従い、その生涯を最微者(いと小さき者)のために捧げられた賀川豊彦先生(1888~1960)によって創設されました。 未来の社会を築くのは子供たちだと、保育の大切さを唱えられ、幼稚園や保育園をはじめとした児童施設や、ハンディキャップをもった人たちの福祉施設、また老人施設まで幅広い事業を展開し、 現在では関西圏を中心に40の施設で活動を進めています。

イエス団公式サイト    賀川記念館公式サイト


2.イエス団憲章

私たちは賀川豊彦献身90年にあたり、ここに憲章を定める。

賀川豊彦は1909年12月24日に当時の社会矛盾からくる社会悪とたたかい、最微者(いと小さき者)に仕えるために事業をおこし、多くの賛同者にまもられ今日に至った。 そこで21世紀を生きる私たちイエス団に連なる一同は、イエス・キリストの贖罪愛に触れ、それを実践することを終生貫き通した賀川豊彦の精神を引き継ぐものである。

一、私たちは、賀川豊彦が実践したsettler(地域に生きる人々と共に歩む者)の精神を引き継ぐ。

一、私たちは、自立と相互扶助を目指した開拓的・実験的事業の精神を引き継ぐ。

一、私たちは、地域を越え、国境を越えて共に生きる平和な世界の実現に努めた精神を引き継ぐ。


3.ミッションステートメント2009

わたしたちイエス団の実践は、1909年12月24日の賀川豊彦の献身に始まる。
そして、イエスの愛に倣い、互いに仕えあい、社会悪と闘い、新しい社会を目指して多くの協働者とともに今日まで歩み続けてきた。
この歴史を検証し、働きを引き継ぎ、今、わたしたちはイエスに倣って生きる。

わたしたちは、いのちが大切にされる社会をつくりだす

わたしたちは、隣り人と共に生きる社会をつくりだす

わたしたちは、違いを認め合える社会をつくりだす

わたしたちは、自然が大切にされる社会をつくりだす

わたしたちは、平和をつくりだす


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賀川豊彦は1888 年賀川純一と益栄の次男として神戸に生まれました。 5歳の時に両親と死別し孤独な少年時代を送った賀川は、7歳の時に赤痢に感染してからというもの、何度も生死をさまようなど、生涯病に苦しめられました。

1909 年12 月24日、賀川豊彦は病に蝕まれ余命いくばくもない体をかかえて、残された生涯を貧困に喘ぐ人々の救済にささげるため、 神戸のスラムに身を投じました。 その後、労働組合運動、農民運動、協同組合運動、無産政党樹立運動などに献身し、関東大震災が発生するや、 東京本所にて、罹災者救済やセルツメント事業に力を尽くしました。

児童福祉(教育)の分野では、幼稚園や保育園を設置して、子ども家庭支援事業を展開すると同時に、 「児童虐待防止論」、「9 つの子どもの権利」、 「子どもを叱らずに育てる工夫」、「幼児自然教案」などの著作活動を行い、 子どもたちに対して常に暖かなまなざしを注ぎながら 愛に基づいた事業を実践しました。 1999 年12 月には、ユニセフ国連児童基金の世界児童白書にて、賀川豊彦が「子どもの最善の利益を守るリーダー」 として、世界の52 人の一人に選ばれました。

また、賀川は生涯を通じて日本と世界にキリスト教の伝道を行い、戦後は伝道のかたわら世界連邦運動を提唱し、生協運動の指導者として活躍しました。 これらの諸活動を担いながら、一方では、宗教、哲学、経済、社会、文明批評、随筆、小説等、多岐に渡る著作を発表しています。 代表作の小説「死線を越えて」は日本最初のベストセラーとなりました。

賀川豊彦の事業は関西、関東を初め全国に数多くの同志を組織して展開され、その運動や事業は現在においても広範囲に渡って継続されています。